宮藤官九郎 脚本ドラマ「不適切にもほどがある!」が放送中で、たびたびネットニュースで話題になっている。ドラマの主人公である「昭和のおじさん」が、コンプライアンスや規則で縛られ自由度が低い令和の人々に「考えるきっかけ」を与えていくドラマである。宮藤官九郎のドラマは、私たちに「考えるきっかけ」を与えてくれるものが多い。(記事後半でドラマ「ゆとりですがなにか」にも言及する。)
先のブログにも書いたのだが、毎年3月に発表される「世界幸福度ランキング(昨年日本は47位)」における幸福度を測る6つの指標(「1人当たりGDP」「社会的支援」「健康寿命」「選択の自由度」「他者への寛容さ」「腐敗の少なさ」)のうち、「一人当たりのGDP」、「社会的支援」、「健康寿命」においては日本は毎年上位国と差がない。しかし、「選択の自由度」と「他者への寛容さ」は極めて低い。
今の日本はしがらみや規制、コンプライアンスなど、縛られる項目が、無駄に多い気がする。上記項目の「選択の自由度」が少ないのだ。しがらみや規則を少し緩めても機能する、より自由度のある社会を再構築できたら、自分とは違う他者を認め、尊重し、お互いが寛容し合える社会に近づいていき、ココロの幸福感が増すのでは。
「選択の自由度」が低い日本人は、
自分以外のヒトが「集団や枠」からはみ出すことが実はうらやましく、
本当は自分が「独自性や異なる意見」を持ちたいのに、
しがらみや規則や世間の目の中で、それができないから、
そうして「独自性や異質の考え」も持ったヒトがいるとわかると、
ここぞといわんばかりに非難の声をあげる。
それまで社会やみんなに多大なる貢献をしてきたヒトが
「やらかしてしまった」とたんに、
その「やらかした」一点のみに集中砲火を浴びせ、
もちろん不祥事自体は公正に咎められるべきであるが、
それまでの「いいところ」が一瞬で見えなくなってしまう。
2016年に放送された、「ゆとり世代」をテーマとした宮藤官九郎 脚本ドラマ「ゆとりですがなにか」の最終回。主人公の小学校教師が性教育を行う場面で、彼は子供たちにこう語る。
身体と違って、心の思春期は、
生きてる限り続きます。
だから、大人も間違える。
怠ける。
逃げる。
道に迷う。
言い訳する。
泣く。
他人のせいにする。
好きになっちゃいけない人を好きになる。
全て思春期のせいです。
大人も間違える。
間違えちゃうんだよ。
だから、他人の間違いを許せる大人になって下さい。
引用:「ゆとりですがなにか」
お互いが寛容し合えるココロの「ゆとり」が持てるようになるためにも、しがらみや規則を少し緩めてもいいのでは。
思いやり、おもてなしのココロを持った日本人は、きっと自由度のある社会、寛容し合える社会を再構築していけると思います。